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カメラ情報センター特別分析
- 第10回(2004.1.30) -
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カメラ業界研究 - 株式会社ニコン(その1:沿革) - |
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ニコンは、日本初の光学機器メーカー(日本光学工業株式会社)として1917年に設立された。当時の主力製品は軍用の測距儀、望遠鏡、高射指揮装置であった。しかし、第一次世界大戦の終結により軍用品の需要が減ったことから、望遠鏡や顕微鏡、天体望遠鏡など民需品の開発を進め 、1921年には、カールツアイス社のドイツ人技師8名を招聘してドイツの光学技術の導入に取り組み始めた。その後、航空写真機用の大型写真レンズが完成し、このレンズを改良した一般写真用レンズが次々と作られた。そして1932年、写真レンズの名称(商標)がニッコール(NIKKOR)と決定された。これは当時の社名の略称である「日光(NIKKO)」の末尾にRを付けたものだった。1935年には同社で最初の35mmカメラ用レンズ(5cmF4.5)が完成し、現キヤノンの「ハンザキヤノン」に付けて発売された。
軍用光学機器から民生用光学機器の生産への転換 〜 「ニコンT型」の発売へ 昭和に入ると軍用光学機器の需要が再び高まり、ニコンは軍用光学機器メーカーとして成長を遂げた。しかし、第二次世界大戦の終結(敗戦)に伴い、 軍用光学機器から双眼鏡、写真機、顕微鏡、測量機、測定機、メガネレンズ等の民生用光学機器の生産に転換 することになった。ニコンは終戦直後から35mm判距離計連動カメラの開発に取り組み、小型カメラの名称を「ニコン(NIKON)」に決定、1948年にはニコン初の小型カメラとなる35mm判距離計連動カメラ「ニコン カメラ(NikonT型)」を発売した。その後、ニコンT型を改良したニコンM(1950年)、ニコンSシリーズ〔S(1951年)、S2(1954年)、SP(1957年)、S3(1958年)、S4(1959年)〕を発売することとなる。ニコンのカメラは、1950(昭和25)年12月にアメリカのニューヨーク タイムズ紙にカメラとレンズの優秀性を高く評価する記事が掲載されるなど世界で高い評価を受けた。その当時、ロバート・キャパ、ハンク・ウォーカー、カール・マイダンス、デビット・ダグラス・ダンカンなど多くの報道写真家達が日本を経由して朝鮮戦争の取材活動に出かける時に「ニコン」を手にし、彼らの「ニコン」に対する高い評価が広く伝えられたことは有名なエピソードとなっている。
プロ用35mm一眼レフ「ニコンF」の発売 〜 NASAカメラの開発 ニコンが35mmレンジファインダーの「Sシリーズ」を発表していた1950年代半ば、ミランダを筆頭に旭光学工業(現ペンタックス)、ミノルタ、ズノーなどがペンタプリズムを搭載した一眼レフカメラを次々に発売していた。ニコンも当時、ペンタプリズム搭載の一眼レフカメラの開発に取り組んでいたが、Sシリーズのフラッグシップ「ニコンSP」の開発を優先させたため、その発売は他社に数年遅れることとなる。そして1959年、遂に同社初の一眼レフである「ニコンF」が登場した。発売当時、その価格が大卒初任給の数か月分という超高価な「ニコンF」は当初から最高級一眼レフとして有名であったものの、最初から人気があった訳ではなかった。しかし、実際に使用されるうちに評価が高まって「ニコンFブーム」が到来、プロカメラマンの大多数が「ニコンF」を所有するなど神話に近い評価がなされるようになる。そして、その後も数多くの一眼レフを世に送り出し、高級カメラメーカーとしての名声を得ることになる。 このニコンFは、アポロ15号に搭載される米航空宇宙局(NASA)特注カメラのベースボディとなる。以後、ニコンのフラッグシップ「F一桁シリーズ」であるF3、F4、F5もNASAのスペースシャトルに搭載されている。
半導体露光装置(ステッパー)の開発 ニコンは、戦後長らくカメラや望遠鏡、双眼鏡、顕微鏡、測量機、メガネなどの光学機器メーカーとしての道を歩んでいたが、1976年に半導体露光装置(ステッパー)の開発に取り組むこととなる。そして1978年には同社初のステッパー「SR-1号機」が完成する。 現在、ステッパーで世界トップクラスのシェアを誇る同社のもう一つの歴史はここから始まっている。
一眼レフカメラのブランド名を「ニコン」に統一、社名も「ニコン」へ ニコンは「ニコンF」を発売した1959年から1970年代後半まで、35mm一眼レフのブランドに「ニコン」と「ニコマート」を用いていた(初期には「ニコレックス」という名称の一眼レフも存在した)。フラッグシップであるF一桁シリーズには「ニコン」ブランドを、普及タイプの一眼レフには「ニコマート」ブランドをそれぞれ使い分けていたのである。しかし、1977年から35mm一眼レフのブランドを全て「ニコン」に統一した。ニコンはその後も、プロ仕様の高級一眼レフから一般向けの普及一眼レフやコンパクトカメラを市場に送り出した。同社のF一桁シリーズとしては初のAF一眼レフカメラである「F4」を発売した1988年には社名を現在の「株式会社ニコン」に変更した。
ニコン VS キヤノンの時代へ ニコンFの登場以来、プロ仕様35mm高級一眼レフの分野はニコンの独壇場だったが、キヤノンがこれに対抗すべくプロ仕様35mm高級一眼レフ「キヤノンF-1」(1971年)、「キヤノンNew F-1」(1981年)を市場に投入、この分野での両社の競争が徐々に激しくなった。そして、ミノルタが本格的な35mmAF(オートフォーカス)一眼レフを市場に投入した1985年から本格的AF一眼レフの時代に突入する 。キヤノンはマウントを現在のEFマウントに変更して本格的AF一眼レフを市場に投入したが、ニコンは伝統のFマウントを維持しながらAF一眼レフ市場に参戦することとな った。この頃から、キヤノンがニコンを追うという構図から、ニコンがキヤノンを追うという構図に変わり始めた。
デジタルカメラの時代へ突入 〜 ニコンD1の発売へ デジタルカメラが市場に登場し始めた1990年代半ばになると、ニコンは富士写真フイルム(株)と共同開発した一眼レフタイプのデジタルスチルカメラNikon「E2/E2s」を発売するが、ブームを起こす までには至らなかった。このように一眼レフタイプのデジタルカメラの販売は早かったニコンではあるが、コンパクトタイプのデジタルカメラでは他社に出遅れ、同社のコンパクトデジタルカメラシリーズであるCOOLPIXが発売されたのは1997年だった。しかし、その後、徐々にラインナップを増やし、デジタルカメラの分野でもシェアを伸ばしていった。1999年には、プロ仕様デジタル一眼レフ「 ニコンD1」を当時としては驚くほどの低価格である60万円台で市場に送り出し旋風を巻き起こし、デジタル一眼レフ市場でシェアトップに立った。その後、キヤノンが 普及クラスのデジタル一眼レフを多数市場に送り出し、デジタル一眼レフ分野でシェアトップの座を奪われた模様だが、2004年3月には普及タイプのデジタル一眼レフ「ニコンD70」を発売し、巻き返しを図ろうとしている。
−次回(その2:事業展開と業績)へ続く−
(参考資料) ニコンホームページ、Nikon Fact Book 2003 他 |
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