カメラ情報センターレポート (2004.5.21)

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カメラ業界研究 - コニカミノルタグループ(その2:ミノルタの沿革) -


日独写真機商店としてスタート 〜 国産初の二眼レフカメラを発売

  旧ミノルタのルーツは、田嶋一雄氏が個人事業として1928年11月に設立した光学機器メーカー『日独写真機商店』に遡る。同商店は小型カメラの製造に着手し、1929年には第1号機「ニフカレッテ」を発売した。「ニフカ」とは、日独写真機商店の「ニ」、フォトグラフィーの「フ」、カメラの「カ」を合わせて創った冠名称で、創業当時発売されたカメラにはこの「ニフカ」の名称が付けられていた。1931年にはモルタ合資会社に改組・改称し、1937年に社名を『千代田光学精工株式会社』に変更、国産初の6×6判二眼レフカメラ「ミノルタフレックス」を発売した。1954年には、いち早くアメリカに駐在員を置くなど、カメラ業界のパイオニアとして、北米、ヨーロッパを中心に輸出を拡大した。

カメラ用レンズに世界初の多層膜コーティングを施す

 アメリカに現地法人ミノルタコーポレーションを設立した1950年代、千代田光学精工がアメリカのカメラショーで展示した35mmレンズシャッターカメラ「ミノルタA」や二眼レフカメラ「ミノルタオートコード」が同国で評判になり、アメリカのカメラ業界で日本製のカメラが注目を浴びるきっかけとなった。さらに、千代田光学精工は、ミノルタブランドのカメラ用レンズに世界で初めて多層膜コーティング(アクロマチックコーティング)を施し、それをカメラに組み込んだ。世に言う「緑のレンズ ロッコール」の誕生である。このコーティング技術により、カラーの再現性が飛躍的に向上し、自然の色を忠実に再現した。例えば、ミノルタ初の35mm一眼レフカメラ「SR-2」用レンズ「オートロッコールPF F1.4 55mm」にも多層膜コーティングが施された。

 

“宇宙仕様”カメラ「ハイマチック」の誕生

 千代田光学精工株式会社は1962年、社名を『ミノルタカメラ株式会社』に変更した。この年、同社の35mmレンズシャッターカメラである「ハイマチック」が、グレン中佐(当時。後にアメリカ上院議員)の搭乗するアメリカの人間衛星船『フレンドシップ7号』の宇宙飛行用カメラとして採用された。アメリカ航空宇宙局(NASA)の厳しい条件や耐久テストを一つ一つクリアし、“宇宙仕様”の「ハイマチック」が完成したのである。また、1968年、アメリカ・アポロ8号に露出計「スペースメーター」が搭載され(1969年のアポロ10号、11号にも「スペースメーター」が搭載された)、宇宙から地球の写真を撮影する際の露出の測定に使用された。

 

事業の多角化 - 情報機器分野への進出 -

 ミノルタカメラは1962年、西宮工場で複写機の生産を開始、1965年には大阪市に情報機器の国内販売会社「モルタ事務機販売株式会社」を設立するなど事務機器分野に進出 した。また、1968年にはテレビ色彩調整分析器を発表して産業用計測分野にも進出するなどカメラ事業以外の分野の事業を拡大していった。1990年にはレーザプリンタの製造 ・販売も本格的に開始した。複写機やプリンタなどの情報機器は、同社の中核事業に成長し、旧コニカと経営統合する直前の決算では同社の売上の7割以上を占めるまでになった。

 

西ドイツ『ライツ社』との提携

 ミノルタカメラは1972年6月、世界最高峰の光学機器メーカーとして名高い『ライツ社』と技術交換や生産協力などで提携することを発表した。これは、ライツ社にとって外国企業との初の提携になり、この提携ニュースは、日・米・西独で大きく報道された。1973年には、この提携に基づいて開発された距離計連動式ファインダー付高性能・軽量・コンパクトカメラ「ライツミノルタCL」が発売された(海外では「ライカCL」ブランドで発売)。この技術提携により、ライツ社の一眼レフカメラやムービーカメラにミノルタのレンズを、ミノルタの一眼レフカメラにライツ社のレンズや顕微鏡装置をそれぞれ使用できるようにし、両者の製品ユーザーが様々な撮影機会において幅広い利用が可能になった。

 

本格的オートフォーカス一眼レフ『α-7000』の誕生

  35mm一眼レフは、ウェストレベルファインダー式からアイレベルファインダー式へ、露出計なしから露出計内蔵へ、機械式シャッターから電子制御式シャッターへと進化し、露出制御もマニュアルのみから絞り優先AE、シャッタースピード優先AE、プログラムAEなどの自動露出機能搭載へと進化した。そして、ペンタックスが1981年に世界初の35mmTTLオートフォーカス(AF)一眼レフ「ペンタックスME-F」を発売、他社も追随して同様のAF一眼レフを発売してピント合わせも自動の時代を迎えることになる。しかし、初期のAF一眼レフカメラは、レンズ内に内蔵されたモーターが大型だったため、レンズが大きくて重くなり、また、ごく一部の専用レンズでないとAFができない等の理由から、大ヒットと呼ぶには至らなかった。こうした中、 ミノルタは1985年、初期のAF一眼レフカメラが抱えていた問題を解決して世界に先駆けて本格的AF一眼レフ『α-7000』を生み出し旋風を巻き起こした。この『α-7000』は世界中で大ヒット、ミノルタは35mm一眼レフのシェアでキヤノンを抜いてトップに躍り出た。 その後、このαシリーズの上位機種である『α-8700i』が1990年、 ロシア(旧ソ連)の宇宙ロケット『ミール』に搭載された。なお、1962年以来使用してきた社名『ミノルタカメラ株式会社』は、1994年に『ミノルタ株式会社』に変更された。

 

デジタルカメラへの本格参入へ

 ミノルタは、銀塩カメラで培ってきた技術をデジタルカメラにも投入、1995年にはレンズ交換式一眼レフデジタルカメラ「RD-175」(発売時価格は68万円)を製品化し、35mmフィルムをデジタル化するフィルムスキャナ「QuickScan 35」も発売していった。同社はその後、270万画素相当のCCDを搭載したレンズ交換式一眼レフデジタルカメラ『Dimage RD 3000』を発表(1999年)、同社のAPS一眼レフカメラ『VECTIS S-1』とほぼ同じデザインのボディーを採用して、“ミノルタ Vマウント”用の交換レンズを使用可能にした。このカメラは、汎用CCD2枚を使って画像合成させることで、コストを抑えながら高解像度を達成、価格も36万円(ボディーとアクセサリーキット含む)に抑えた。その後、発売当時、民生用のデジタルカメラとしては世界初の5メガCCD搭載機「DiMAGE 7シリーズ」を発売、ズームをしてもレンズが飛び出さない光学系を採用した薄型デジタルカメラ「DiMAGE Xシリーズ」など、同社の技術と独創性を発揮したデジタルカメラを世に送り出していった。

 

−次回(その3:事業展開と業績)へ続く−

 

(参考資料) コニカミノルタホームページ、日本カメラ博物館「日本のカメラ誕生から今日まで」 他

 

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