カメラ情報センターレポート (2004.5.14)

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カメラ業界研究 - コニカミノルタグループ(その1:コニカの沿革) -

 コニカミノルタグループは、旧コニカ株式会社と旧ミノルタ株式会社の経営統合により2003年8月に誕生したカメラ・写真用品メーカーで、コニカミノルタホールディングス株式会社の下、オフィス情報機器事業」、「オプト事業」、「フォトイメージング事業」、「医療・印刷機器事業」、「計測機器事業」の各5つの事業ドメイン、さらに「開発・技術機能」、「ビジネスエキスパート機能」の2つのグループ共通事業ドメインに編成され、持株会社として全7グループを形成している。 本レポートでは同グループの沿革を、旧コニカと旧ミノルタに分けて紹介することとする。今回は旧コニカの沿革をまとめた。
 

写真及び石版印刷材料の取扱店としてスタート

  旧コニカのルーツは、明治6年 (1873年)に東京麹町の写真及び石版印刷材料の取扱店としてスタートした小西屋六兵衛店に遡る。同店は、写真材料専門店として明治4年(1871年)に開業した浅沼商店(東京日本橋呉服町)とともに、日本の写真産業の発展に先達的役割を果たした。小西屋六兵衛店は明治9年(1876年)に小西本店と改名、明治15年(1882年)になると東京市内に工場を作り、カメラ、台紙、石版器材の製造を開始し、明治35年(1902年)には東京淀橋(現在の西新宿)に工場六桜社を建設して乾板や印画紙の製造販売を開始した。

 

アマチュア用の国産量産カメラの第一号「チェリー手堤暗函」を発売

 小西本店は当初、専門写真師を営業対象にしていたことからアマチュア用カメラの製造(販売)には慎重だったが、明治36年(1903年)になるとアマチュア用の国産量産カメラの第一号と呼ばれる「チェリー手堤暗函」(手堤暗箱カメラ)を発売した。これは、名刺判の乾板6枚をあらかじめカメラにつめて順次撮影していく簡易マガジンカメラで、翌年には同じ名称の手札判も発売した。同店は明治末期に、国産初の手札判乾板用蛇腹式ハンドカメラである「さくらポケットプラノ」や4×5インチ一眼レフで国産初のフォーカルプレーンシャッター1/1000秒を搭載した「さくらフレックスプラノ」などを発売、大正時代に入っても数多くのカメラを発売するなど、カメラメーカーの中心的存在だった。なお、同店は大正10年(1921年)、組織を改組して合資会社小西六本店となった。

フィルムおよび自社製レンズ・シャッターの開発へ

 昭和に入るとフィルムやレンズ、シャッターの国産化が進むが、小西六本店も昭和4年(1929年)に自社製フイルム「さくらフイルム」を発売、昭和6年(1931年)にはカール・ツァイス社のテッサーレンズを模した四枚玉ヘキサー105mmF4.5などを開発した。また、昭和7年(1932年)には自社製シャッターをさくらカメラ(木製ボックスカメラ)に採用し、翌年には「アパス・シャッター」「デュラックス・シャッター」も発売した。小西六本店は昭和11年(1936年)に株式会社小西六本店を設立し、株式会社小西六本店は昭和12年(1937年)に株式会社小西六へと社名変更し、合資会社だった小西六本店を吸収合併した。更に昭和18年(1943年)には社名を小西六写真工業株式会社と改称した。

 

コニカの誕生

 小西六写真工業は太平洋戦争後、再び生産を開始して同社のカメラを「コニカ Konica」と命名、その第1号機として1948年に「コニカ I」を発売した。このコニカTには、ヘキサー50mm, F3.5、自社製シャッター、連動距離計が搭載された。また、その翌年にはスプリングカメラの名機といわれるパール・シリーズの第1号機も発売した。コニカ I は改良を重ね、シリーズの最後となった「コニカ III M」には、当社初のセレン露出計が搭載された。二眼レフが全盛だった1950年代には85mmレンズを搭載した二眼レフカメラ「コニフレックス」も発売され、「二眼レフの最高傑作」と評された。1960年には同社初の一眼レフカメラで、世界初の1/2000の縦走りメタルフォーカルプレーンシャッタを備えた「コニカ F」(1960年)を発売したが国内での発売は無く、輸出のみだった。1963年には世界で初めてCdSを受光素子に採用したシャッター速度優先式自動露光カメラ「コニカ・オートS」を発売、「コニカ・オートS1.6」(1967年)までのシリーズカメラとなるなどベストセラー機になった。また、1968年に発売した「コニカC35」は、ハーフサイズカメラのような小型・軽量ながら画質のよさを誇り、「ジャーニーコニカ」の愛称とともに大ベストセラーシリーズとなった。

 

 世界初のオートフォーカス・カメラ「コニカC35AF」を発売

 小西六写真工業は1974年、世界で初めてフラッシュを内蔵したカメラ「コニカC35EF」を発売、「ピッカリコニカ」の愛称で親しまれた同機は、ベストセラー機となる。このカメラの誕生により、フラッシュ内蔵カメラが主流となった。そして、1976年には、世界で初めてオートフォーカス機能(AF)を搭載したコンパクトカメラ「C35AF」を発売、「ジャスピンコニカ」の愛称で超ベストセラーを記録した。また一眼レフカメラでは、世界初のフィルム自動装填・フィルム自動巻き上げの「コニカFS−1」を発売し、その後のカメラの礎を築いた。

 

事業の多角化 - 事務機器分野への参入

  このように、カメラ・写真用品関連メーカーとして地歩を固めていった小西六写真工業であるが、一方で事務機器分野にも参入し、1971年に電子複写機の製造販売を開始、翌年には東京事業場(八王子)を電子複写機の工場として整備拡充を進めた。小西六は1979年には兼松ユービックス販売株式会社の全株を取得、1987年にはドイツに複写機の組立工場を設立するなど事務機器分野の事業を拡大していった。

 

35mm一眼レフカメラからの撤退 - デジタルカメラ市場への参入

 小西六写真工業は1983年、「コニカ FS-1」をフルモデルチェンジした一眼レフカメラ「コニカFT-1」を発売したが、ミノルタが1985年に世界初の本格的な35mmオートフォーカス(AF)一眼レフカメラである『ミノルタα7000』を発売、35mm一眼レフがAFの時代に入ると35mm一眼レフカメラ市場からは撤退し、35mmコンパクトカメラ部門に集中することとなる。1988年には土木・建設工事現場の記録用カメラとして「コニカ現場監督」を発売、堅牢なボディに防水・防塵・防砂機構を有し、隠れたベストセラーになる。同社は、デジタルカメラが徐々に市場に普及し始めた1996年には35万画素のコンパクトデジタルカメラ「コニカQ-EZ」を発売し、デジタルカメラ市場にも参入、その後も複数のコンパクトデジタルカメラを市場に送り出してきた。

 

−次回(その2:ミノルタの沿革)へ続く−

 

(参考資料) コニカミノルタホームページ、日本カメラ博物館「日本のカメラ誕生から今日まで」 他

 

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