カメラ情報センターレポート

- (2004.2.14) -

カメラ業界研究 - 富士写真フイルム株式会社(その1:沿革) -


写真フィルム製造の国産工業化計画に基づき設立

  富士写真フイルムは1934年1月、写真フィルム製造の国産工業化計画に基づき、大日本セルロイド株式会社(現ダイセル化学工業株式会社)の写真フィルム部の事業一切を分離継承して設立された。 同年2月には、足柄工場の創業を開始し、写真フィルム、印画紙、乾板など写真感光材料の製造を開始し、さらに同年6月には東洋乾板を統合して映画用写真フィルムなど写真フィルムをフィルムベースから一環製造するとともに、乾板、印画紙の製造を行う総合写真感光材料メーカーとなった。

 

光学機器分野への進出 − 富士写真光機を発足

 写真感光材料メーカーとして出発した富士写真フイルムは1940年3月、光学ガラスから、レンズ、カメラまでの一貫製造を目指して、小田原工場内に光学ガラス溶融工場を建設した。太平洋戦争によって民生用のカメラの製造は不可能になったが、軍用光学機器製造のため光学ガラスの需要が急増し、同社は増設に次ぐ増設で需要に対処する一方、既設の光学機器メーカーである渇|本光学精機製作所を買収し、富士写真光機梶i現連結子会社)を発足させた。

 

カラーフィルムの発売

 太平洋戦争により写真業界も大きな痛手を被ったが、国民生活が回復するのに伴い写真熱も高まるなど市場環境は改善した。こうした中、富士フイルムも白黒フィルム”ネオパンSS”を発売、1948年には外型反転方式のカラーフィルムを発売した。その後、内型ネガ・ポジ方式のカラーの研究を進め、1958年には映画用および一般写真用の分野でカラーネガフィルムを発売し、一般写真用カラーフィルムの現像およびプリント製作体制整備のため、富士天然色写真鰍ノ東京現像所を開設した。日本経済の高度成長期の1960年代になると、次々と新製品を発表する。1961年に感度ASA50の“フジカラーN50”、1963年には、カラードカプラーを採用し、色再現性を向上した“フジカラーN64”を発売した。1965年には感度ASA100の“フジカラーN100”を発売し、1971年にはニュータイプ“N100”を発売した。富士写真フイルムはまた、アマチュア用カラー製品の開発と並行して、プロ用カラー製品を開発し、営業写真館やプロ作家の高度な要求にも応えていった。

 

コピー市場への進出 −富士ゼロックス社の設立

 富士写真フイルムは創立の翌年にはフォトスタット機の複写用ブロマイドを発売するなど早くからコピー市場へに進出していたが、新しい写真法として電子写真が登場し、実用化の時代を迎えると、いち早く電子写真に着目し、研究を開始、1961年にランク・ゼロックス社と技術提携契約を結び、翌1962年2月、合弁会社として富士ゼロックス株式会社 (2000年に連結子会社)を設立した。

 

カメラ・光学機器事業基盤の確立 −カメラの開発・販売へ

 戦後いったんは光学ガラス部門を縮小した富士写真フイルムだったが、新たに各種レンズの商品化とカメラ部門への進出を企画し、稀元素を原料とする新種光学ガラスの開発に成功して”フジノン”レンズを開発、カメラ用をはじめ各種用途のレンズを逐次商品化した。この間、1948年には6×6判のスプリングカメラ”フジカシックス”を発売した。その後、高級二眼レフ”フジカフレックスオートマット”・入門機”フジペット”・35mmカメラ”フジカ35”などを次々と発売する一方、引伸機、双眼鏡、スライド映写機などの関連商品も発売した。1960年代に入って、各社で、35mmレンズシャッターカメラの露光の自動化(EE化)が進む中、1962年にはシャッター速度を自動補正する機構を加えた複式プログラムシャッター式AE機“フジカ35オートM”を開発し、内外の市場で好評を博した。1963年には、市場ニーズに合わせて、ハーフサイズカメラ“フジカハーフ”を発売、1967年には、小型軽量カメラ“フジカコンパクト35”を発売し、コンパクトカメラの先べんをつける一方、1968年には中判カメラ“フジカG690”を発売し、プロ写真の市場にも進出した。

 

35mm一眼レフ市場への進出

 カメラ市場に参入した富士写真フイルムは、1965年にはホームムービー“シングル-8”システムを開発するなど8mm映画市場にも参入、同社の柱の1つとしていた 。更に1970年代に入り、新たに一眼レフカメラ分野に参入し、ボディーの小型軽量化と新しい測光方式を確立したTTL一眼レフカメラ“STシリーズ”を発売する。次いで、生活防水機能を有するヘビーデューティカメラ“HDシリーズ”や110カメラ“ポケットフジカ”も発売、1981年にはインスタント写真システム”フォトラマ”を発売し、総合カメラメーカーとしての独自の基盤と販売態勢を築いていった。しかし、その後35mm一眼レフについては、市場が成熟して競争が激化するのに伴い同分野から撤退することとなる。

 

デジタルカメラへの進出

 富士写真フイルムは、デジタルイメージング技術の研究開発にも1970年代からいち早く取り組み、世界に先駆けてX線画像のデジタル化に成功し、1983年にデジタルX線画像診断システム「FCR」を発売した。その後、こうしたデジタルイメージング技術をベースに1988年10月、デジタルスチルカメラDS-1P 開発、翌年10月にはデジタルスチルカメラ「DS-X」を開発した。そして、1991年9月にはデジタルスチルカメラDS−100を発売、1993年1月にはデジタルカードカメラDS-200Fを発売した。その後、フジックス デジタルカードカメラ 「DS-505」、「DS-515」 (1995年2月)、デジタルカメラ 「DS-7」(1996年7月)などを発売、ニコンと共同で一眼レフタイプのデジタルスチルカメラNikon「E2/E2s」も発売するなど様々なデジタルカメラ を積極的に開発し市場に送り込んだ。そして現在では、デジタルカメラ大手の一角を担うようになった。

 

 

−次回(その2:事業展開と業績)へ続く−

 

(参考資料) 富士写真フイルムホームページ「富士フイルムのあゆみ」、 富士写真フイルム株式会社有価証券報告書(第107期) 他

 

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