カメラ情報センターレポート (2004.4.23)

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カメラ業界研究 - キヤノン株式会社(その1:沿革) -


アパートの一室で高級カメラの研究所としてスタート 〜 カンノン1号機の試作へ

 キヤノンのルーツとなる精機光学研究所は1933年、高級カメラの製作を目的とする研究所として設立された。同研究所は、カメラ好きの吉田五郎氏が義弟の内田三郎氏と共同で東京麻布六本木にあった竹皮屋ビル3階のアパートの一室に興したベンチャー企業だった。吉田氏は研究所設立後、本格的にカメラ作りに取り組み、1934年には国産初の35ミリフォーカルプレーンシャッターカメラの試作機「カンノン1号機」を完成し、同年6月には『アサヒカメラ』に『KWANONカメラ』として広告を出した。この「カンノン」という名称は吉田氏が信仰していた観音様からとって付けられたものだったという。

 

商標「キヤノン」の出願 〜 35mmFPカメラ「ハンザキヤノン」を発表へ

 内田氏は、カメラの本格発売開始に向けて新たなカメラの名称を検討、吉田氏の信仰から生まれた「カンノン」よりも、より近代的な高級カメラのイメージに合う「キヤノン(CANON)」に決定した。CANONという名称は、発音が「カンノン」に似ていることもあり、語感にも違和感無く、スムーズに名前を変更することができたという。精機光学研究所はカメラの製造を進め、1935年10月号の『アサヒカメラ』に35ミリフォーカルプレーンシャッターカメラの広告を掲載したが、カメラの名称は「ハンザキヤノン」であった。これは、精機光学研究所が近江屋写真用品株式会社に販売独占権を認め、近江屋の商標である「ハンザ」を冠したカメラ名になったからである。また、今では考え難いこと(!?)だが、このハンザキヤノンにはニコンのレンズがつけて発売されている。

 

 精機光学工業株式会社の創業 〜 キヤノンカメラ株式会社に社名変更へ

 精機光学研究所は1936年6月、目黒に移転して新工場の建設にとりかかると共に、名称も「日本精機光学研究所」に改めたが、経営資金を調達するために研究所を株式会社として出資者を募り、1937年8月に精機光学工業株式会社を創業した。同社は戦時中一時休業していたが、1945年10月には事業を再開し、1947年には社名をカメラのブランド名である「キヤノン」と同じ「キヤノンカメラ株式会社」に変更した。製品名と会社名は同じにした方が明確で得策との判断によるものだったという。

 

35mmカメラ「L1」が第1回グッドデザイン商品に選定

  通商産業省(当時)は1957年、商品の良質化と生活向上を目指して「グッド・デザイン選定制度(Gマーク制度)」を創設したが、このGマーク制度の選定商品第1号に35mmカメラ「キヤノンL1」と8ミリカメラ『8T』が選定された。その後、1960年代に入りカメラの多品種化が進み、新製品も続々と発売されるようになる。キヤノンカメラも1961年、F1.9レンズと自動露光(AE)機構を付けた同社初の普及機である「キヤノネット」を発売して大ヒットさせたが、1960年代の35mm一眼レフカメラ市場においては、高級機では「ニコンF」がプロ仕様機として一世を風靡し、普及機では「ペンタックスSP」が世界中で大ヒットする中、キヤノンの35mm一眼レフカメラは、どちらかというと地味な存在であった。

 

事業の多角化 - 事務機器および半導体製造装置分野への進出

 キヤノンカメラは1964年、電子式卓上計算機を発売して本格的に事務機器分野に進出、1968年にはNPシステムを開発して普通紙複写機(PPC)分野にも進出した。また一方で、1965年にはIC製造用の超高解像力レンズの開発に着手し、さらに半導体製造装置にも着手して1970年3月には国産初の半導体焼付装置「PPC-1」を日米で同時発表した。なお、1969年には社名を現在のキヤノン株式会社に変更している。

 

プロ仕様機「キヤノンF-1」〜マイコン搭載カメラ『キヤノンAE-1』の発売へ

  「ニコンF」がプロ用35mm一眼レフカメラとしてプロの圧倒的支持を得ていた1960年代、キヤノンには「ニコンF」に対抗できるプロ用一眼レフカメラが存在しなかった。このため、キヤノンは、「ニコンF」に対抗できる製品を作るべくプロ仕様カメラの開発に約5年間取り組み、1971年3月、遂に『キヤノンF-1』を発売した。その取り組みは、「通常のカメラ約10台分に匹敵するエネルギーを投入した」と社内で言われるほどであったという。そして、1976年4月には世界初のマイコン搭載カメラ『キヤノンAE-1』を発売して大ヒットさせた。『AE-1』は、キヤノン初の本格的な複合技術製品で、電子、精密機械、光学、コンピュータ利用などの設計技術と、超精密加工技術、生産技術など、基盤となる技術を結集して完成させた35mmシャッター優先式TTL・AE一眼レフカメラで、この『AE-1』の大ヒットはその後のキヤノン大躍進の原動力ともなった。

 

オートフォーカス一眼レフカメラ「EOS650」の発売

 『AE-1』の発売以降、好調だったキヤノンだったが、ミノルタが1985年に世界初の本格的な35mmオートフォーカス(AF)一眼レフカメラである『ミノルタα7000』を発売して大ヒットさせると状況は大きく変わる。キヤノンは、35mm一眼レフ分野でミノルタに奪われた首位を奪還すべく、従来のFDマウントの35mm一眼レフのシステムを捨てて、新システム「EOS」の開発に取り組むことになる。そしてミノルタの『α-7000』に遅れること2年、キヤノンは遂に同社初の本格的35mmAF一眼レフカメラ『EOS650』を発売した。キヤノンはその後、同社の一眼レフをこのEOSシリーズに一本化し、更に躍進することになる。

 

デジタルカメラ分野への参入
 

 1990年代半ばになると、デジタルカメラが徐々に発売されるようになるが、キヤノンは一般消費者向けのデジタルカメラの販売では決して早い方ではなかった。キヤノンは1995年7月、EOSシリーズの頂点に立つ最高級機「EOS-1N」を母体とする130万画素・CCD搭載のデジタル一眼レフカメラ「EOS DCS 3」を発売したものの、発売時の価格は198万円で一般の人には縁の無いものだった。一般消費者向けと呼べる同社初のデジタルカメラは、1996年7月に発売された57万画素CCD搭載のコンパクトデジタルカメラ「PowerShot 600」だった。キヤノンはその後、このPowerShotシリーズをエントリー向けのAシリーズと中級者向けのSシリーズ、中・上級者向けのGシリーズへと発展させ、2001年からはスタイリッシュな「IXY DIGITALシリーズ」も発売、コンパクトデジタルカメラの売上を大きく伸ばしていった。一方、デジタル一眼レフの分野では、1999年にプロ仕様デジタル一眼レフ「 ニコンD1」を60万円台で発売して旋風を巻き起こしたニコンに先行を許したが、2000年に325万画素CMOSセンサー搭載の普及クラスの一眼レフデジタルカメラ「EOS D30」を発売、その後「EOS D60」、「EOS 1D」、「EOS 1Ds」、「EOS 10D」、「EOS Kiss Digital」を発売し、キヤノンはデジタル一眼レフの分野でも主導権を握るようになった。

 

−次回(その2:事業展開と業績)へ続く−

 

(参考資料) キヤノン株式会社ホームページ、日本カメラ博物館「日本のカメラ誕生から今日まで」 他

 

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